はじめに
2000年のWHO(世界保健機関)におけるWorld Health Reportでは、日本は、健康寿命が第一位、平等性が第三位で健康達成度の総合評価は世界一となっている。また、同じくWHOが公表しているWorld Health Statistic Annualにおいては、乳幼児死亡率および平均寿命において世界一であることが示されている。このように、わが国の医療は、世界的に見ても高い評価を得ており、その背景には、国民皆保険等の制度や医療そのものの質の高さ、さらに医療関係者の努力の結果が寄与していることは疑う余地のないところである。
しかしながら、近年、医師不足、医師偏在、病床閉鎖、医師の大量辞職、患者のたらい回し、お産難民(語弊があるかもしれないが巷間使われている言葉をそのまま使用)など医療に対しての悲観的な活字が多くのメディアを賑わせている。特に地方においては、必要な医療がすぐに受けられないなどの問題がより深刻だと言われている。多くの地域では、このような問題に対しての対策も進められ、国としてもいくつかの対策が提示されている。一方、これらの対策が十分な効果を上げていないといった声も多く聞かれる。
本稿では、上に示したような医療に係る問題を特に地域(地方)における医療に焦点を当てて問題構造を整理し、今後、どのような観点で解決に向かうことが必要かについて論じる。
地域医療における問題と現状の対策
地域医療における問題を議論する上では、まず直接的な原因となっている医師不足と医師の偏在化についてその問題を整理することが重要であると考えられる。したがって、まず、これらの現状認識と対策を明確にする。
医師の絶対数の不足については、OECD平均で人口1000人当たりの医師数が3人に対してわが国は2人であり、人口規模で計算すると12万人から13万人が不足していると言われている。多くの地域で、患者のたらい回し、医師不足による病棟閉鎖などの問題が現実化するなか、国も骨太方針08に、医学部定員を増員する方針を打ち出した。この方針が出る前にも、医師を確保するために多くの地方自治体などで、高給の提示、研究費や研修参加費の助成、貸付金制度などの対策が打たれている。
医師の偏在については、大きく2つの問題が言われている。一つが地域における偏在、もう一つが診療科における偏在である。地域における偏在は、中山間等のへき地において、診療科における偏在については特に、産科、小児科で影響が大きい。これらの偏在に対して、地方自治体で医師不足と同様の対策が採られている。しかしながら、必要な医師が集まらず、産科医不在でいわゆる「お産難民」も発生するなど十分な効果が上がっていないのが現状である。
地域医療問題の構造化
それでは、地域医療問題に対して効果が上がる対策はどのように考えるべきなのか? そのヒントが「問題の構造化」にあると考えている。
地域医療における病床閉鎖、たらい回し、お産難民の発生などの問題は、前項で述べた、医師の絶対数不足と偏在に大きく起因していることに異論はないであろう。
しかしながら、10年ほど前までは医師過剰と言われ、地域医療についての問題もあまり話題に上らず、医学部の定員も削減されてきたわけである。なぜ、最近になって医師不足、医師の偏在がにわかに取り上げられるようになったのか? その構造を明らかにする。
そもそも、前項に示すように、OECD加盟国に比較して医師数が少ないということは、各国の医療制度、地理、疾病構造等の違いなどもあり一概には言えないが、過去から潜在的な問題としてあった可能性が考えられる。筆者が大学病院に勤務していた20数年ほど前に、友人の研修医は決して高いとは言えない給料で当直明けも含めて長時間勤務し、アルバイトで生計を立てることを当然のようにこなしていたと記憶している。要は、これらの人たちの献身的な働きによってそれなりの医療供給がバランスされていたわけである。
このバランスを一気に崩壊させたのが、「新しい臨床研修制度」であることは間違いない。この制度はメリットもあり批判するつもりはないが、結果的に研修医が条件の良い都市部の一般病院へ、医師が不足した大学は地方の派遣先から中堅医師を呼び戻すことになった。結果的に地方の病院から医師がいなくなるという結果を招いたわけである。問題を構造的に見る上で注意すべきことは、「新しい臨床研修制度」が地方の医師不足を加速させる引き金であったということであって、短絡的にすべての原因をここに求めないことである。別の要因もあわせて大局的に問題構造を考察することが重要なのである。
別の要因としては、まず、医療内容の変化が挙げられる。医療技術や機器の進歩による医療の高度化・複雑化と合わせて、高齢化社会における合併症を伴う手術など難易度の高い症例の増加は、医師の高い専門性と「業務負荷の増大」を要求し、結果的にこれらの医療を担う医師が不足する事態を招くことになる。業務負荷は、さらに、近年の医療で求められるインフォームドコンセント(十分な説明と同意)や多くの書類の必要性による事務作業の増加などによっても増大している。医師の絶対数が変わらなくても、総労働時間に対する医師の必要数が不足するという事態が発生しているのである。
「新しい臨床研修制度」が引き金となった地方の医師減少に加えて「業務負荷の増大」が起こるということは、分かりやすく言うならば、「人が減って仕事が増える」状況を作り出すこととなった。ここに過重労働問題が発生することになるわけである。大阪府医師会が実施したアンケート調査がある。その結果によると1週間当たり20時間以上の超過勤務をしている勤務医が29・3%に上ることが明らかになっている。週20時間以上の超過勤務は、厚生労働省の過労死認定基準を超えるものである。過重労働問題は、医師不足だけではなく事故の温床になるという意味でも認識すべきである。
図表1:地域医療問題の構造
出所:NTT データ経営研究所にて作成 |
このような労働条件の悪化は、専門性が高い、救急対応が必要であるなど特に急性期病院の医師で顕著であり、勤務医が疲弊する大きな要因となっている。さらに、最近ではこの状況に輪をかけて医師に過大要求(場合によっては暴力・暴言)する患者や安易に医療機関にかかるいわゆるコンビニ受診の増加などの患者モラルの問題、訴訟件数の増加、訴訟における刑事責任の追及といったことも医師の疲弊に拍車をかけている。結果的に、勤務医はこれらの状況から身を守るために安全な職を求めて開業医になるなどの別の道を選び、ますます勤務医の不足が加速される構造となっている。開業を促すコンサルタントやゼネコン等の存在も加速を後押ししている。また、訴訟に関しては、そのリスクの高い産科などの診療科を敬遠するという診療科偏在の原因にもなっている。
これまでに記述したことが大きな視点でとらえた勤務医の不足と医師偏在化問題の構造である。
近年では、前記に加えて女性医師の割合が増えていることによる出産での退職、負荷の高い診療科の敬遠なども医師不足の重要な要素となっている(図表1)。
解決策について
本来、医療は、安心・安全な暮らしを守るセーフティネットであり社会インフラとして整備することが重要である。このインフラがあってこそ活発な経済活動や社会活動を営むことができるのである。筆者はこのことを念頭において地域のステークホルダーが利害を超えて一体となり、医療の解決策を考えることが何よりも大切ではないかと考えている。
この前提を踏まえた上で、構造化から見た解決策を検討してみたい。
まず、医師の絶対数不足について、OECD等の客観的なデータから見ると、先進国としては少ないことが示唆される。対策としては前にも述べたが、国が骨太方針08に、医学部定員を増員する方針を打ち出している。しかしながら、この方針に基づいて輩出された医師が一人前になるためには、これから10年、15年後ということになる。当然、地域の医師不足はそれまでにも進むわけであり、現実的には中長期対策だけではなく、今できることも同時に考えることが重要となる。
それでは地域において今できる対策は何が考えられるか? まず、医師(特に勤務医)の過重労働をできるだけ減らすことである。医師がいない状況で何をばかなことを言っているのかと言わないでいただきたい。医療は効率化になじまないという意見もあるが、現在の医療供給体制を効率化することで、勤務医の労働を軽減できる可能性があるのである。具体的には、地域全体での医療連携である。医療連携によって、軽症患者や慢性期のフォローアップなどを開業医が担い、手術や高度な医療を病院が担うことで、勤務医が専門性に特化した業務に集中できる環境が十分期待できるはずである。まずは、今の資源を有効に活用することを考えるべきではないだろうか。これまでにも医療連携は行われてきたが、残念ながら病院独自に自院の患者または診療報酬獲得のために構築したものが多い。また、病院再生も単独の病院の財務中心に語られることが多い。これらの方法を続けている限り地域医療の再生が期待できるはずがない。これからは病院再生から本当の医療再生、すなわち病院ごとの連携や再生から地域全体で人口動態、疾病構造、上位(高度)医療機関との連携状況等から必要な医療資源を整理し、既存資源を活用しつつ連携に基づく効果的な医療供給体制を作り上げることが必要であり、結果として勤務医の労働環境を改善して医師の流出に歯止めをかけ、ひいては住みよい地域創造につながるものと考えている。ここでは、自治体のリーダーシップが欠かせない。
次に、中長期的なことではあるが、医学部の定員増=医師不足の解消ではないということを認識して対策を考えておく必要がある。勤務医の労働環境が整っていない状況では、診療科や地域派遣などの選択に対する医師への強制や診療報酬優遇などの条件を整備しない限り、地方の勤務医志望者が増えるとは考えられない。労働環境の整備は将来的な医師の受け入れにも大きく影響するという認識もあわせて持っておくことが大切である。また、再教育、育児、柔軟な勤務形態などの女性医師の復職支援を考える上でも、勤務医全体の労働環境改善をもとに女性医師が安心して働くことのできる状況を作っておくことが必要であろう。
さらに、医師を疲弊させる原因として患者モラルの問題を示したが、このような患者をいかに減らすかも地域医療を効率化する上で取り組むべき課題である。住民に対して、病院のかかり方(軽症な場合はまず近くの開業医で、など)を認知させていくことは、自治体や病院、開業医、医師会が一体となって行うことで効果が上がると考えられる。自分たちで医療を守らないと自分たちが困るという認識を徹底的に情報発信することも大切な取り組みである。この認識の醸成は、産科、小児科などの診療科偏在における医師確保という観点からも非常に大切なことであると考える。
これまで述べてきたことを構築するにはやはり数年はかかる。もし現在、患者がかかることのできる医療機関がないなどの危機的な状況である場合は、まず次のような取り組みを活用してセーフティネットを維持しつつ医療連携による体制作りを進めることが重要であろう。
(1) 法律で許される範囲での看護師、助産師などコメディカルの活用
(2) 遠隔医療など通信技術の活用
まとめ
地域医療問題の構造から解決策を考えると次のような考え方に基づき、地域全体での医療連携に取り組むことが重要である。
- 医師不足だから医師を増やすことは重要だがこれだけの単純な発想では事態は良くならない
- まず、現在の医療資源を効率化して有効活用する最大限の方策を考えることが重要である
- その鍵となるのが、地域全体の計画的な医療連携である
- ただし、致命的な医師不足が進んでいる診療科、事業については、まず、遠隔医療などで緊急対策を実施する
- 地域全体の医療連携は、医療供給を効率化し、患者アクセスの改善、勤務医の労働環境改善に寄与する
- 勤務医の労働環境改善は、現在いる医師の流出に歯止めをかけることが期待されると同時に、女性医師や他の医師の招聘がしやすくなる
- 病院が充実すると、実は開業医も安心して医療提供ができる(お互いがあって成り立つことを再確認していただきたい)
- これらを実現するためには、自治体のリーダーシップのもと、病院、開業医、医師会等のステークホルダーが自分たちの地域医療を守るという共通目標を持って望むことが重要である
- 医療は単なるサービスではなく社会インフラであり、住民は、医療が崩壊すると自分たちが困るという認識を持ち節度を持った受診をする